アメリカの中学生を対象にワークショップやってみて感じた日本との違い

留学6週目の最終週の記録です。

今週はSunnyvaleの中学校でロボットでサッカーを行うロボット教室をやりました。
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ロボットはDAISEN社製のTJ3Bという既成品を使用して
それの組み立て→プログラム作成という流れで行いました。daisen-netstore.com
ロボットはC言語を用いたプログラムに従って動くのですが、
実際に子供たちが作成する時はC-styleというビジュアルプログラミングソフトを使用して行います。*1
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今回はその中で私が感じた日本の子供たちとの違いについてまとめていきたいと思います。

1.子供の自発性に任せる


【日本の場合】

進研ゼミの告知の仕方が日本の教育の全てを物語ってるのではないでしょうか?
「この夏休みで短所を長所に変えよう!!!」
つまりは、日本の教育では、短所をなるべく消して平均的に取れるように指導を進めていく風潮が強いということです。
この教育方針には、

メリット
・クラス全体が同じ進捗で進めやすい
・なんでもそれなりにこなせる人間を増やせる
デメリット
・尖った人間が育ちにくい
・一度ついていけなくなると落ちこぼれる可能性が高い

というメリット・デメリットがあると考えました。
高校生のときに、中学後半の英語や数学を授業レベルでやり直すのは難しいのは容易に想像が出来るかと思います。
自分からというより、受動的にしか受けようがないというのが今の教育の限界なのかもしれません。
そして、平均的に出来るだろうという気持ちから、
失敗するのが怖いという思考になってしまうのかなと思います。

【アメリカの場合】

ロボット教室をやってて思ったのは
自分達が用意したスライドの2歩ぐらい先を勝手に自分で考えて進めていたことです。
最後には、お互いに分からないとこを教え合って授業と言っても後ろからサポートしてあげるだけ、という時間が多かったです。

こっちの子供たちの好奇心は、実際に形にするまで止まりません。
トライ・アンド・エラーで勉強できることを彼らは知っているのです。

では、もしこの時日本式に
「みんなで一緒に進めるからちょっと待ってて。」
と言って彼らのやる気を止めたらどうなるか?

答えは、全く関係ないことをやり始めて、その後ロボットには目もくれなくなります。
それだけこっちの子供は自発的に興味を持ったものには全力で突き進みますが、
上から押し付けたり指示すると興味をモチベーションが下がってしまう文化が、ここにはあると感じました。

さらにもう1つ
アメリカの学校では、単位毎に飛び級が認められています。
やってることが幼稚なら先に進む。
分からないで進むなら、理解するまで止まる。

このような教育を受けることが出来ます。

2.何事にもアグレッシブ


【日本の場合】

日本の授業風景を思い出してください。

先生「質問ある人ー?」
生徒「・・・・・・」
先生「はい、次進みますー」

これは、よくある日本の教室の光景だと思います。

全員の前で質問することに対して恥ずかしさや、授業を止めてしまうのでは?という申し訳無さ
そんな空気感からなかなか手を挙げるのは簡単ではないことは、私も当時感じていました。

いわゆる、日本人はシャイだねってやつですね。

【アメリカの場合】

もし、自分の分からない点が出てきたら
「これはどうなってるの?」
「どうして動かないの?」
こんな質問をひたすら連呼してきます。

この連呼するというのがポイントで、自分が分からないポイントは
とことん理解するまで知りたいという欲求が、彼らには働いているように感じました。
だからこそ、自分の理解している範囲内ではドンドン進めていきたいのでしょう。

特に今回の授業では、自分がプログラムを書く→ロボットが実際に動くことで確認出来る。
このサイクルで開発を進めていけたので、早くもっと高度なことがしたいという気持ちに駆られたように感じます。

3.意見の伝え方と納得の仕方


【日本の場合】

小学校、中学校で何か決め事をするときに一番使われるもの
そう「多数決」ですね。
多くの日本人が多数決で決まったなら、自分が納得せずとも受け入れてしまう
そんな経験はありませんか?

現在の大人が受けた教育で、多くの人が議論を行う経験が少なかったように感じます。
自分の意見を主張するより周りに合わせる。
5段階評価アンケート形式で真ん中が多かったりする。

自分の意見を意地でもねじ込もうとする方法が確立されてないため
どうしても感情的に突き進む連中が、最近よく国会前で騒いでいたりするのかなと。
教育されてないから、あんな滑稽な演説しか出来ないのだろうとまとめながら感じました。

デモ自体やることはいいのですが、もう少しロジカルに演説すればいいのに、
戦争法案!」「徴兵制にはさせない!」「安倍下ろし!」
これしか言わないデモに何の意味があるのか。

【アメリカの場合】

ロボット教室の場面でこのようなことがありました。
今回のサッカーの試合では、白い枠からはみ出したら1分間退場扱いというルールがあります。
試合時間は5分なので、そのうちの1分とはかなり大きいペナルティと感じたのでしょう。
1人の子供が「30秒に変更してよ!!!」
これを10回以上審判である私達に訴えてきました。
確かに、彼のロボットは何回も場外に進んでいました。
これに対して「それは出来ない」という回答を私達は繰り返しました。

教室が終わった後の反省で言われたのは

・"Just rule!!”と突っ張る
・なぜ30秒に変更してはダメなのかの理由を伝えてあげる

この2つでした。
まず1つ目は、自分達が試合をしている彼らより圧倒的に上の位置で判断していると伝えてあげることで
変な申請をこれ以上させないという効果があります。
これをしないと、今回のようにナメられて、自分の意見をねじ込めようとしてきます。
そして2つ目は、ロジカルに納得するとそれ以上自分の意見を訴えても無駄だと本人が一番わかっているということからです。
実際、今回1分と設定した理由としては、授業の中で最低限フィールドから出ないようなプログラムを組むようにという指示をしていたので
かなり重いペナルティとなっていました。
それを伝えることが出来れば、彼も納得して試合をすることが出来ただろうなと今になって思っています。


まとめ

以上の3点について最後にまとめると
日本人の教育の場合

・短所を直して全体を平均的にする
・疑問があっても蓋をして進める
・反対の意見を述べることが悪いことという空気感がある

アメリカ人の教育の場合

・長所をひたすら伸ばし続ける
・自分だけでは分からない疑問は即解決する
・自分の意見をロジカルに否定することでのみ納得する

今回は特にアメリカの子供たちのメリットの部分を強調して記事を書いてみました。
もちろん、デメリットも考えたらあると思います。
けど、それはアメリカ社会と日本社会の違いだと思っていて、
アメリカでは個の特徴的な人の集合体で会社が動いている。
日本では、平均的な力でベースとなる底力を上げることで会社が動いている。
まぁ最近は日本でもITベンチャーはアメリカナイズされた考え方を持ってる会社も多いかと思います。
そこで、自分が働く場合は、自分の価値観(スキルセットの揃え方)もアメリカナイズさせる必要があるのかと感じました。

参考資料
日本とアメリカの学校の違い - NAVER まとめ

*1:ビジュアルプログラミングといえば、scrachやsmalrubyが有名ですね